パニック障害を克服、松阪世代の小谷野栄一が阪神の打撃コーチに

ウキペディアより

阪神の打撃コーチ就任の小谷野栄一とはどんな人

プロ入り前

 1980年10月10日生まれの松阪世代。中学時代、江戸川南リトルリーグで松坂大輔とチームメイトだった。高校は創価高校に進学し、3年春の甲子園大会に出場し、2回戦で上重聡を擁するPL学園高校に敗れる。

 大学は創価大学に進学し、4年間の通算打率.343、53打点と好成績を残しドラフト候補として名前が取り上げられるようになり、2002年のドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受け入団する。

日本ハム時代

 3年目の2005年に初本塁打を記録するなど、出場機会を増やしていくが、2006年の6月ににパニック障害を発症する。

 打席に向かおうとすると嘔吐してしまう症状が出てしまい、練習にも参加できない状態が続いた。球団は帰郷療養を勧め、創価大学野球部の岸雅司監督(当時)の元を訪ね、創価学会の機関紙聖教新聞のスクラップや書き写しにも励んだ。当時の福良淳一二軍監督は「何回だって吐いていい。調子が悪ければタイムを掛けてもいい」と励まし徐々に自信を取り戻した。

 2007年には完全に復活し113試合に出場し日本ハムの優勝に貢献した。その後もゴールデングラブ賞を獲得するなど守備でも活躍し、2010年には109打点の成績を残し打点王ベストナインを獲得する。

 2014年にフリーエージェント権を獲得すると、パニック障害を支えてくれた福良淳一がヘッドコーチを務めるオリックスへ移籍する。

オリックス時代

 肉離れの影響で2015、2016年は満足な活躍は出来なかったが、2017年は130試合に出場し監督に就任していた福良淳一に恩返しをすることができた。

 2018年には「ファームでも動けなくて限界を感じた」と現役を引退した。

引退後

 2019年は松坂世代である平石洋介の誘いで東北楽天の一軍打撃コーチに就任する。

 2020年から2024年からはオリックスで打撃コーチなどを務めていた。

 2025年からは阪神で来季の1軍打撃コーチに就任する。過去に阪神タイガースとの縁は無いが、此度、監督に就任した藤川球児でとは、同学年の松坂世代で旧知の仲であることから要請された。

 こわもてな外見とは裏腹に内面はソフト、良き指導者の下で育てられ、コーチとしての経験も豊富な小谷野栄一コーチは藤川球児監督のサポート役としてうってつけの人物ではなかろうか。

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