中日ドラゴンズ次期監督候補、今中慎二はどんな性格、どんな経歴
出身地 大阪府門真市
生年月日 1971年3月6日(53歳)
大阪産業大学高等学校大東校舎
大阪桐蔭高等学校
中日ドラゴンズ (1989 – 2001)
コーチ歴
中日ドラゴンズ (2012 – 2013)
プロ入り前
高校は数々の有名選手を輩出している大阪桐蔭高校の出身で、大阪桐蔭高校のプロ1号の選手です。今中は1年秋の府大会の準々決勝でPL学園と戦い、試合は0対1で敗れたが、1学年上の立浪和義や野村弘を擁して翌年に甲子園春夏連覇でを果たす強豪を相手に1失点に抑え、注目を集めるようになった。この頃の大阪桐蔭は現在ほどの強豪高はなく、甲子園は未出場だが3年時にはプロ野球の全球団から注目されるようになり、1988年度ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受けた。
翌年の1月、新入団選手は通常5日ごろ入寮しトレーニングを始めるが、今中は「正月明けですぐ行きたくないと思って」試験を理由にして入寮拒否、1人だけ1月22日入寮した。このころから大胆なピッチングスタイルの片鱗を見せていた。
現役時代前半
1年目から7試合に先発し、1勝をあげ2年目には規定投球回数に到達し、10勝をあげる。4年目のシーズン中に打球が当たり左手首を骨折する。その骨折がもとで伝家の宝刀ががスローカーブが産まれた。
1993年は細身の左腕からくりだされる大きな弧を描き曲がる球速80キロ台のカーブと、涼しい顔で投げ込まれる140キロ台後半のストレートで17勝、247奪三振、防御率2.20を記録し、最多勝と最多奪三振のタイトルに加え沢村賞を受賞した。それから4年間二桁勝利を続け中日のエースに君臨した。
無表情で繰り出される打者を舐めたようなスローカーブに中日ファンは酔いしれた。
現役時代後半
1997年のキャンプ前に左肩を故障する。1998年に1度回復するがこの年の勝利が最後の勝利となり2001年に引退する。プロ入り8年間で87勝をあげるが、その後4年間は4勝止まりとなった。
同世代の中日のレジェンド山本昌が514試合の先発登板で79完投に対し、今中は約3分の1の187試合先発登板で74完投という数字が今中のすごさを表している。
引退後
引退後は解説者やコーチとして活動する。今中の解説がぶっきらぼう、不愛想という意見がありますが、今中慎二なので当たり前です。理論的でいい、抑え気味でちょうどいいという意見も有ります。
2012年、2013年は中日の投手コーチに就任。故高木守道監督と不仲説がおきたり、成績不振により2年間けのコーチとなりました。
2024年には臨時コーチとして中日のキャンプに参加しています。
監督、コーチの可能性は
中日ドラゴンズの次期監督候補には井上一樹二軍監督や和田一浩打撃コーチの名前が上がっているが、今中慎二もおもしろい。理論派であり、感情を表に出さない風貌は落合監督をほうふつとさせるだろう。
少なくとも投手コーチとして復活してもらいたい。今中が中日の監督かコーチとして大阪桐蔭の後輩、根尾昂を覚醒することが出来れば名古屋の街は大盛り上がりだ。
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